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安倍政権にひれ伏す日本のメディア
マーティン・ファクラー
双葉社
2016-06-24



<構成>
はじめに
第一章 安倍政権のメディア・コントロール
第二章 メディアの自壊
第三章 ネット右翼と安倍政権
第四章 権力VS調査報道
第五章 失われる自由
第六章 不確かな未来
おわりに

<簡評>
日本との縁が20年以上におよぶ、前ニューヨークタイムズ東京支局長、マーティン・ファクラー氏の著書。『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』のデービッド・アトキンソン氏しかり、私はこの手の「知日派ガイジンが書いた現代日本評」を読むのが結構好きである。

本書もまた、海外メディアの目から見た日本のメディアの問題点を鋭くえぐる。おそらく時事的な影響もあって、タイトルは「安倍政権もの」だが、安倍政権の話は実質的には全体の四分の一くらいだ。

本書の論調のすべてに賛同するかはさておき、さすがはNYタイムズというべきか。着実な取材を下敷きにして確固たる記者の主張を出していく文章は、同業者の末端につらなる者としてはなかなか勉強になる本だった。

◆◆

読後の個人的な感想としては、「メディアを弾圧する安倍は悪い」「したたかな強権主義者である」という印象はあまり強く受けなかった。むしろ突出して感じられたのは、サラリーマン的で横並び思考が強いとされる日本の大手メディアのふがいなさというか、弱さだ。

安倍政権の振る舞いは、トルコのエルドアン政権のように確信犯的に民主主義を一部無視し、異論者に対して荒っぽく棍棒を振り回しているとまでは言えない。第一次政権時代にメディアのバッシングで「潰されて」、やがて2009年に自民党が野党に転落する端緒を作ることになった苦い思い出への反省もあるのだろう。彼らはおおむねルールぎりぎりの枠内で、あくまでも"それなり(当社比)"にしたたかなメディア対策を講じているに過ぎない。

ただ、日本の大手メディアが「お豆腐」すぎるため、政権側が棍棒どころか指でそっと押しただけでグシャッと潰れてしまっているというのが、より正確な実態であろうと思う。

◆◆

少なくとも既存の大手メディアについては、おそらく今後も、お豆腐がレンガに変わるような事態は起きない。なぜなら、この「お豆腐」化は誰に本質的な責任が帰せられるとも言えず、組織や社会全体が無意識を重ねて作り出したものだからだ。

「日本だからこういうもの」という性質の代物は、問題の存在が認識されても誰も解決の方法を知らない(もしくは、解決策を知る人がそれを実行できる立場に就くことがまずない)ため、外国人がトップにでもならない限り、短中期的な変化は不可能である。

私たち庶民に必要とされることは、日本のメディア改革を訴えることではなく(やっても無駄だからだ)、彼らがお豆腐であることを明確に認識したうえで信用できる情報を選び取るセンスを個々人で育てていく賢さを身に着けることではないかと思う。

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本書は全体的に良質だと思うが、人によっては序盤部分は微笑ましさを覚えるかもしれない。現在の日本国内では、やや「引かれた」扱いを受けがちな某識者やテレビ番組の失脚や苦境が、「安倍政権のメディア弾圧」の事例として挙げられているからだ。

これは外国人ジャーナリストが他国の政治問題に切り込もうとした場合に陥りがちな、普遍的な罠でもある。今回は「アメリカ人記者→日本」というパターンだったが、「日本人記者→中国」「日本人記者→台湾」といった構図でも同じことはよく発生している。

外国人の立場からは、一見すると「気骨の人」や「正論の担い手」に見える人物が、現地のバランス感覚のある常識的な人たちから相手にされていなかったり、場合によってはトンデモに近いような扱いをされていたりする事例は、枚挙にいとまもないほど数多い。

例えば、昨今の日本における香港の「本土派」の取り扱い方や、中国の一部の民主活動家の取り扱い方なども、上記のパターンに含まれるものがあると言っていいだろう。

海外の政治問題をフラットに報じることは実に難しい。本書を読んで再認識する次第である。



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※上記はメルマガ「つれづれ亜州観望記」2016年11月08日配信号の原稿を再編集したものとなります。