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【Q&A】袁世凱の政権と現代の中国の共通点って何?

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※下記はメルマガの原稿を再編集したものです。

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Q.初めてお便りいたします。安田さんが学生時代に所属されていたという、立命館大学東洋史研究会というサークルで2014年度の会長をつとめたTと申します。サークルの室内に置いてあったご著書を読んで連絡させていただきました。

せっかくですので、先輩に東洋史について質問させてください。「1.袁世凱はなぜ帝政をおこなったのか?」「2.日本の近代化は上手くいったのに、どうして中国の近代化は上手くいかなかったのか?」「3.中国共産党はなぜ歴史問題に執着するのか(するように感じられるのか)?」以上の三点です。よろしくお願いします!(T 20代男性)
 
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A.Tさんはじめまして。往年の立命東研はいかにも中国史を扱うサークルらしく、外敵の侵入(新左翼セクトの乗っ取り未遂)や女禍(「オタサーの姫」によるクラッシュ)など様々な事件で滅亡しかけていましたが、いまだに社稷を保っておられると聞いて嬉しい限りです。私の身には非常にハードな質問が飛んできましたが、自分なりに頑張って答えてみることにします。

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Q1.「袁世凱はなぜ帝制をおこなったのか?」。1911年の辛亥革命で清朝が倒された後、大総統の地位についた袁世凱は、やがて「中華帝国」の皇帝になろうとしましたが、志果たせずに計画を撤回して死去しています。なぜわざわざそんなことをしたのでしょうか?
 
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A1.近年、香港の反中国共産党デモなんかに行きますと、しばしば「愛字頭」と呼ばれる北京当局のフロント団体がカウンターデモの動員をかけられている光景を見ることができます。

また台湾でも、緑色陣営(台湾自立派)系のデモに対して、国民党マネーによる動員とされる青天白日旗を持ったデモ隊がよくカウンターデモを仕掛けています。2014年春のヒマワリ学運の際に、国民党支持者の警官の家族らが「カーネーション運動」という、学生に立法院占拠からの撤退を呼びかける運動を起こしたこともありました。

ほか、一九八九年に中国本土で天安門事件が発生した際に、北京郊外の農村で、デモ学生たちから退陣を求められていた党高官の李鵬の支持を主張する怪しげな農民デモが組織されたこともあります。

近現代の中国(中華圏)における為政者や体制側政党は、この手の人為的な大衆動員を通じた「民意の偽造」を好んでおこなう傾向があるようです。

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 ↑2015年5月31日、香港で開かれた天安門事件追悼デモにカウンターを仕掛ける親中国派の「市民」。安田撮影。


こうした中国的な民意偽造運動の発明者は、私が知る限りおそらく袁世凱でしょう(古くは新朝の王莽も似たような民意偽造をやりましたが、大衆動員は袁世凱からです)。

彼は一九一五年末に帝位につこうとした際、カネで人をかき集めた「請願団」(なかには妓女やホームレスで組織されたものもありました)を各地に多数作らせ、それをまとめた組織である全国請願聯合会の名義で帝政開始の請願書を議会に提出させることで、即位が「民意」を得ている根拠としました。

こうした怪しげな手法を用いての即位ですから、袁世凱の帝制施行は100%クリーンな性質のものとは言えません。彼の個人的野心も否定できないはずです。


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↑袁世凱。現在でも中国・台湾・日本など各国で、一般的には評判がよくありません。



ただし、大国・中国は当時から現在に至るまで、国家の統治にあたって常に強力な政治体制が必要とされてきたことも、一方で事実だったりします。

特に当時の場合、政情は辛亥革命前の期待に反してさっぱり安定せず、対外的にも欧米日の列強にあなどられる状態が続きました。「強い中国」の確立は、袁政府はもちろんのこと、孫文ら革命派にも共通した望みでした。

そこで袁世凱は強い国家を作るために、ごく数年前まで中国に存在したそれなりに効率的な統治システムである専制体制(=帝制)を選択したという側面もあるのです。

一九一五年夏、袁世凱の帝制の可否をはかる観測気球として、お雇い外国人であったアメリカ人行政学者のF・J・グッドナウが中国の帝制復活を主張する文書を新聞紙上に発表しました。やがて袁世凱の部下の楊度(結構な知識人です。ちなみに読みは「ようたく」)たちもこれに共鳴し、中国の立憲君主制の確立を求める籌安会という社会団体を作りました。

グッドナウの主張は強烈です。中国はその特殊な国情ゆえに欧米民主主義の直接的な適用は避けられるべきであり、中国の独自の政治発展の道がある(→ゆえに一定の専制体制が必要だ)といったことを言ったのですから。

中国の一般人民の政治知識は不十分であり、すくなくとも現時点の彼らは共和制を担う能力が欠けている、ゆえに立憲君主制でいけというわけです。

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↑ グッドナウさん。本業では有名な人で、名前をググるとさりげなく日本の公務員試験に出題されていたりします。


これは20世紀初頭の欧米人エリートらしい、アジア人への偏見や植民地主義が露骨にあらわれた意見でした。しかし一方で「孫文死後の国民党と共産党の争いや人民共和国内の激しい権力闘争の歴史を知る我々は、これを人種差別の暴論だと素直に笑えない部分がある」(引用元:『中国の歴史10 ラストエンペラーと近代中国』p191)こともやはり確かです。

事実、孫文は帝制にこそ断固反対でしたが、グッドナウの主張には一定の理解を示しています。事実、孫文が唱えた三民主義もまた、主権在民を実現させる前に「訓政」という過渡期概念を設定することで、孫文と中国国民党による国家の「指導」(事実上の専制統治)を肯定するものでした。

中国の一般人民を政治を任せられない愚民であると考えて、賢人やストロングマンの専制を志向した点で、実は孫文と袁世凱の本質的な違いは大きくないのです。

また日本のシナ学の泰斗である内藤湖南も、帝制には大反対ではありましたが、当時の中国に帝制回帰の機運があることは認識していました。袁世凱がやろうとしたことは、単に結果的に失敗しただけで、目指した考えは当時の中国の問題解決策としてはそれなりの説得力と妥当性を持っていたと考えていいでしょう。

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↑袁世凱が建国しようとした「中華帝国」の国章。ちょっとかわいい。



それどころか「特殊な国である中国に欧米民主主義を直接的な適用すべきではなく、中国には独自の政治発展の道がある」という往年のグッドナウの主張の根幹は、現在の中国共産党が自国で民主制の導入を拒否する際の決まり文句としてそのまま残っています。中国共産党もまた、袁世凱や孫文とあまり違わない国家観をもって、いまなお中国を統治しているわけです。

こう考えてみると、袁世凱の振る舞いは、野心家が犯した時代錯誤の愚行! といった解釈だけで見るのは必ずしも正しくありません。

むしろ袁世凱は、後年に国民党や共産党が採用する統治形態を「ちょっと早めに」やりたかっただけとも言えます。ただ、それが早すぎたがゆえに、彼が構想した専制体制の形は、前時代の皇帝制度の外見をとることになりました。彼の失敗の原因は専制を選んだからではなく、その体制に「皇帝」を持ち出したからであるにすぎないのかもしれません。

余談ですが、袁世凱は例の21か条要求の件をはじめ、帝制を敷く際に日本の内閣の意向に翻弄されたり、ブレーンに(反帝制派ですが)坂西利八郎という日本軍人がいたりと、なかなか日本との縁が濃厚です。Tさんは日本史専攻だったとうかがいましたが、日本史の側面から袁世凱を眺めてみるのも面白いかもしれませんよ。



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※上記はメルマガ「つれづれ亜州観望記」2016年11月22日配信号のコンテンツの一部を再編集したものとなります。 
質問はブログ左の「Contact me」からどうぞ。
(メルマガ掲載から一定時間が経ってからブログにも掲載しますので、購読者以外の方からも歓迎します)

 

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※下記はメルマガ「つれづれ亜州観望記」の原稿を再編集したものとなります。こちらはサンプル原稿なので、メルマガ運営元である株式会社フーミーの鈴木創介さんの質問を取り上げました。

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Q.以前、安田さんのブログの読者でした(編集部注.中国のネット掲示板の書き込みを2chまとめサイト風に翻訳したブログ『大陸浪人のススメ』のこと)。面白かったんですが、またやらないんでしょうか? (男性33歳 会社経営者)

A.ありがとうございます。もちろん時間や労力の問題もあるのですが、それ以上に「やりたいけれど、もうやれない」が正しい答えになります。

中国でネット掲示板が熱かったのは、せいぜい2010年ごろまでのことでした(これは日本で『2ちゃんねる』が尖ったプラットフォームでいた時代とほぼ軌を一にします)。

当時はSNSが未発達で、本来は身近な相手と話すような生活の話題や身近な社会問題、政治への不平不満などがネット掲示板上に数多く書き込まれました。そして、お互い顔も知らない「名無し」に近い人たちがそれを議論し合っていたのです。当時、彼らの会話を「聞き耳頭巾」をかぶるがよろしく覗き込んでみせたことが、『大陸浪人のススメ』に限らず、中国ネット掲示板翻訳系のブログの最大の面白さだったと言っていいでしょう。

しかし、その後の日本でネットの流行がツイッターやLINEに移行したのと同様に、中国でも流行はネット掲示板から微博(ツイッターに似たサービス)、さらに微信(LINEに似たサービス)へと変わっていきます。つまり、書き込みの内容が「名無し」相手の公開発言から、フォロワーや一定範囲の知人向けの言葉に変化していきました。

これらは本質的にはクローズドなコミュニケーションなので、いざ翻訳した場合、従来のネット掲示板と比べて翻訳や編集の手間がかかるわりに、話が内輪向けで外部者には面白くない傾向があります(特にネット掲示板特有の、名無し同士による「吹いたレス」の応酬や、掲示板民に独特の連帯感は姿を消しています)。また、微博はネット掲示板と比べてレスの付きが悪く、まとまった分量を訳せないという問題も出てきます。

ほか、特に2012年ごろを境に、中国政府のネット言論統制が従来以上に強化され、「デマ(=当局に不都合な情報)」を流布した者が容赦なく摘発されるようになりました。当然、こちらも中国のネットの書き込みが大幅につまらなくなった原因となっています。

現在の翻訳ブログは、中国のネット掲示板プラットフォームの衰退という流行的要因と、ネット言論それ自体の衰退という政治的要因から、往年ほど面白い内容は絶対に作れません。「運営」するだけならば今でも可能なはずですが、継続的におこなうと魂なきリビングデッドのようなコンテンツになってしまいます。これが、「やりたいけれど、もうやれない」本当の理由です。

(でも、たまにこのブログ上で不定期でやることはあるかもしれません。やっぱり「聞き耳頭巾」は面白いもの)







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