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ある亡命中国人漫画家の『ワイルド・スワン』

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私は中国人や台湾人から話を聞くのが好きである。特に都会の現代っ子の若者からではなく、そこそこ歳をとっている人(40代以上)や、若者でも両親や一族との仲がよくて昔の話をよく聞いている人がいい。なぜなら彼は、現在の社会階層や経済力にかかわらず、いかなる人であっても本人や家族がそれぞれものすごい過去の歴史を抱えているからだ。

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↑鄧小平(中央)がおこなった改革開放政策(右)と天安門事件(左) 。これらにより中国の社会は「安定」した。(Copyright:辣椒)  

例えば私の数歳年上の台湾人の友人は、お父さんが外省人1世の元軍人(ただし参軍は戦後)でお母さんがインドネシア華僑。ご家庭は1950年代まで国民党の残党が戦っていたビルマ東北部にも何か縁があるらしい。2015年夏に『週刊プレイボーイ』の抗日戦争勝利70週年記事でお父さんに取材させてもらったときは、台湾に住む「中国人」の歴史観や国際認識を聞かせてもらって非常に面白かった。

また、別の台湾人の友人はおじいさんが浙江省出身で国共内戦を戦った中華民国軍人で、お父さんが外省人2世の国民党支持者、お母さんが本省人の民進党支持者で、選挙のたびに家のなかでプチ抗争がはじまるのだという。

ほかに中国大陸でも、山西省の閻錫山軍閥の財務高官の娘の子で、満洲旗人の血も引く貴族の出にもかかわらず、社会主義革命と文革で人生が一変した李さんという人がいる(拙著『境界の民』「黒いワイルド・スワン」という章で詳しく書いたので、知りたい人は読んでみてほしい)。

東西線沿線の某繁華街でチャイナパブを経営している上海出身の50歳前後の女性は、老紅軍(中国革命に参加した兵士)の娘で子ども時代は軍人コミュニティの特権的な環境で育ち、上海大学卒業後に青年士官と結婚したが離婚。傷心を抱えつつ、当時はあこがれの国だった日本にやってきて、いろいろ苦労しているうちにチャイナパブのママさんにおさまってしまった。彼女は上海に残ったり他国へ移民した親戚や友人がけっこう出世するなか、自分の人生に思うところもあるようだが、「日本は暮らすだけなら環境がいいからまあいっか」と割り切って、今日も日本の疲れたシャチョーさんを相手に水割りを作っている。

戦後70年以上にわたり政情が安定している日本と違い、中国の安定はせいぜいここ四半世紀、文革終了から数えても40年ほどの話だ(台湾の場合も、民主化からわずか30年も経っていない)。中国人や台湾人にとって、動乱や政治迫害はごく身近な過去であり、また場合によっては現在進行形でわが身に降りかかるものですらある。

ゆえに、彼らの話は面白い。本人やたった一世代前の人が動乱の当事者であり、話の迫力が違うからだ。ユン・チアンの『ワイルド・スワン』さながらの物語は、動乱の時代を生きていた中国人なら、どの家でも形は違えど似たような話があった。

「面白い」といって不謹慎ならば「興味深い」と言い換えても構わない。


【ある亡命中国人漫画家の著作】

以下、本稿で著書を紹介する中国人漫画家・辣椒も、そうした興味深い人生を余儀なくされた一人だ。

中国のウェブ上で人気の風刺漫画家だった彼は、やがて習近平政権下でご政道批判が一線を超えたとみなされたことで、事実上の日本亡命を余儀なくされた。そんな彼の日本での初の単行本が下記である。


 
本書は4コマ漫画であり、辣椒本人が中国国内で当局から受けた弾圧の実態、習近平本人の個性やネット世論工作を用いた個人崇拝の演出、中国抗日ドラマや反日教育の裏事情、日本や台湾の政治への辣椒自身による論評、中国の「紅白」に相当する大型番組・春聯の政治的な裏事情、人民解放軍の裏事情、辣椒の両親の物語――と、内容は多岐に及ぶ。

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↑辣椒が描く現代中国の女性のイラストはけっこう色っぽくて好きである。作中には習近平の娘・明沢も美人設定で登場する(Copyright:辣椒/新潮社) 

辣椒はネット出身の風刺漫画家であり、ネット言論統制の批判や抗日ドラマの裏事情の暴露といった話は、数年前まで中国のネット上に存在した「いちびり精神」を正しく継承している感があって面白い。

いっぽうで第9話で展開される日本の安倍政権や反安保デモについての話は、やや生臭さが強くて個人的にはエピソードの収まりがよくないと感じる(むろん、私も往年の反安保デモの参加者たちはちっとも好きではなく、その主張にもあまり賛同する気になれないのだが)。

やはり本書において別格に興味深いのは、まず本人の実体験にもとづく当局からの弾圧の詳細についてだろう。中国の民主派の人々が「中国版ゲシュタポ」と陰口を叩く国保局員による尋問「被喝茶」(問題人物に対してお茶を名目に面談をおこない圧力をかける行為)や、それを受けた側の安全対策、実際に拘束された際の獄中描写などが、当事者によるマンガのかたちで視覚的に知れるのは極めて貴重だ。

また、私個人としては最終章の両親の話が心を打つ。

文革世代であった彼の両親は、当時は完全な辺境だった新疆ウイグル自治区に下放され、そこで辣椒をもうける。辣椒はなかなか両親と同居できなかったが、深く愛されて育ったことは本書中の描写からも明らかだ。

その後、彼が日本亡命を余儀なくされた後に母をガンで失い、葬儀の様子をネット動画を通じて眺めざるを得なかったエピソードは、大所高所に立ったどんな政治批判よりも強烈に現代の中国の問題点を描き出しているように思う。

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↑新疆を開拓させられた辣椒の母。現地の少数民族にとっては「侵略者」である漢人だが、当時は「侵略」する側もムリヤリ動員されており、苦労はすさまじかった(Copyright:辣椒/新潮社)


ちなみに著者の辣椒は、私が日本国内で天安門事件や中国民主化問題の関連イベントを取材しているとよく姿を見かける。ただ、反体制的な中国人がフラットな立場で自国批判をおこない、なおかつそれでごはんを食べていくには、日本というのはなかなか難しい部分がある国でもある(こちら過去記事を参照。辣椒の話も少し出てくる)。

本来、風刺マンガという軽妙洒脱な表現手段から中国の問題点を鋭くえぐる書き手は、本来日本人にとっても中国人にとっても非常に得難い存在であるはずだ。

彼が今後も筆を曲げることなく、かつ安定した亡命生活を送れることを……。いや、いつの日か正々堂々と中国に帰国して母親の墓参りができる日が来ることを、陰ながら祈らずにはおれない。


【参考】
 
辣椒の他の作品は、高口康太『なぜ、習近平は激怒したのか 人気漫画家が亡命した理由』でも豊富に掲載されている。辣椒本人のバックグラウンドについてはもちろん、かつては民主化の突破口として期待された中国ネット言論の衰退の経緯や、専制体制を受け入れてしまう中国社会の性質についても詳細に説明されているので、興味がある方はあわせて読んでみるといいだろう。

2月28日には、 辣椒と高口氏、東京大学准教授の阿古智子氏の3人で刊行記念対談も予定されている。



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 上記はメルマガの記事の一部を大幅に改稿・再編集したものです。

【書評】「いまさら」日本に留学する中国人の素顔

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<構成>
プロローグ
第一章 東大、早稲田…… 日本に留学したい本当の理由
第二章 留学生を支える予備校ビジネスの実態
第三章 過酷すぎる中国の大学受験戦争
第四章 一八歳人口の減少におびえる日本の大学
第五章 なぜ彼らは日本で働きたいのか
第六章 ダイバーシティをめざす日本企業に足りないもの
第七章 日本を選んだ中国人エリートの先駆者たち
エピローグ
あとがき

<簡評>
ここ数年、私は天安門事件を経験した世代の中国人がいま何を考えているのかに興味があり、50歳前後の中国人を見つけるたびに質問責めにしている。

彼らのなかには日本への留学歴がある人も多い。日本や中国でインタビューを繰り返すたびに印象付けられるのは、(事件や現体制についていかなる立場を取るにせよ)現在の日本で出会う若い中国人留学生とは比較にならないほどの、彼らの地頭の良さだ。

これは彼らの「年の功」だけが原因ではない。1989年ごろの中国の大学進学率は2.5%ほどで、留学を目指すような大学生はもともと極めて優秀な層に限定された。一方、当時の日本はジャパン・アズ・ナンバーワンの時代だった。そんな「一等国」が中国のすぐ隣にあり、最先端の知識を与えてくれるように見えた。なので、かつては本国でも一線級の人材が日本に来ていたのだ。

ゆえに現在40代後半から50代くらいの中国人の日本語人材は、平均的に見て非常に優秀な人が多い。近年の日本社会で起業家や学者・外国人ジャーナリストなどとして活躍している中国人も、ほとんどすべてがこの世代に集中している。

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↑香港、尖沙咀地区にあった六四記念館の展示品。現在はすでに閉館。
 

……だが、時代は流れる。

現在の日本に(東大大学院などの最高峰はある程度は例外としても)一流の中国人が学びに来るケースは大きく減った。

彼らは日本の頭越しで欧米圏に向かい、その傾向は長期的かつ不可逆的に継続している。私自身、大学入学直後の2000年と大学院修了時の2006年のわずか6年間でも、身近な中国人留学生の姿からこの傾向を感じてきた。

ならば、「一流」人材が猫またぎをするようになった日本にいまでもやってきて学び、就職する中国人はどんな人々か。彼らは日本の何に魅力を感じているのか。それをうかがい知れるのが本書だ。

(ちなみに書中で筆者は「確かに日本に来る留学生は超一流ではないかもしれません。でも、二流というわけでもない。そこそこのエリート、つまり一・五流ですよ」という東大の教授のコメントを引用して、現在の中国人留学生の質についてフォローを入れている(取材先や日本人の読者への配慮ゆえだろう)。ただ、本書を注意深く読めば、上記に指摘したような話はやはり読み取れるはずである)。

◆◆

著者の中島恵氏は近年、「中国人エリート」を主題に堅実な著作を積み上げてきた。



 

良質な中国ウォッチャーは、中国という巨大すぎる対象を読み解く際に、なんらかの理解の軸を設定してそこから論を展開する。著者の場合、この「軸」に相当するのは、中国が庶民にとっての選択肢が限られた激烈な競争社会で、とにかく「忙しい」「疲れる」国であることへの着目だ。

中国は就職や大学入試はもちろん、持たざる民にとっては鉄道キップ1枚の購入ですら、それを勝ち取るために膨大なバイタリティと苦労が必要とされる。ゆえに中国人は、みんな図々しくて疑い深くなる。不公平な競争社会で生き残るにはコネが重要なので、中国人は親戚や友人と、日本人とは比較にならないほど暑苦しい人間関係を築いて自衛する。

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↑上海の駅にて。いつもの光景だ。


そんな大変な社会で鍛えられた中国人のふてぶてしさとネットワーク構築力は、個々人がバラバラになって終わりなき競争に放り込まれる新自由主義的な現代世界の風潮とたまたま相性が良く、図らずもグローバルに通用する強みとなった。現代の世界で賢い中国人が勝ち組になっているのは、それゆえのことだ。

……しかし、当然ながら中国人のなかにも、押しが弱かったり人付き合いが苦手だったりする、根性のない人がいる。競争に飛び込むことを恐れ、また敗れて落ち込む人もいる。

そんな草食系中国人たちにとって、ホッとできる心のオアシスは隣国にある。すなわち日本という国だ。

日本は日常生活は便利極まりなく、清潔さと安全性は極めて高い。社会は水を打ったように静かであり、世の中はなかなか変化しない。

ギラギラせずに分相応に暮らし、なんとなく生活するライフスタイル(中国でそれが得難い以上、これは人によっては大きな「憧れ」だ)を望む人にとって、日本ほどよい国はないという話になる。

◆◆

本書から見える中国人留学生たちの姿もまた、東大院進クラスの「最上流」のエリートを除けば、おおむね草食系揃いだ。

彼らが日本での学びを選ぶ動機は、日本のんびりした社会と気質が合う、アニメが好きである、そして中国で入試に失敗して学歴ロンダリングを目指す……、といったところ。一昔前の苦学生の姿とは程遠い。

中国の大学入試は、例によって激烈な競争である。その具体的な話は書中の記述に譲るが、本人や親が、日本の名門大学に進むほうがまだしも負担が少ないと考えるのは理解できる。

海外留学させるなら、日本は欧米に比べて学費が安いし、なによりも近い(なので親が遊びにこられる)。語学のハードルはあるが、日本には中国人向けの大学受験予備校が乱立しており、カネを積んで特訓させればそこそこの大学に受かる。大学側も、日本人の若年層人口が減少するなかで海外からの学生の獲得を望んでいる。

本書から垣間見えるのは現代の中国人留学生たちのそんな姿だ。

◆◆

本書から、いわゆる「日本スゴイ論」や「日本はこんなに世界から愛されている」といったメッセージだけを受け取るのは、ややもったいない読み方だろう。

意地悪に解釈するなら、かつてスゴかった日本が、現在は必ずしも「スゴくない」「成長しない」テンションの低い社会となったことが、選択肢としてそうした空間を好む中国人を引き寄せているという見方だってできるのだ。

「はたして日本は今後も彼らから『選ばれる国』でいられるのか」

本書はあとがきでこう結んでいる。自分たちが選ばれる理由をどう理解し、どの部分の魅力を伸ばし、どのように外部へ向けてアピールするか。今後の日本の課題を考えさせられる本だった。


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※上記はメルマガ「つれづれ亜州観望記」2016年12月06日配信号のコンテンツの一部を再編集したものとなります。 

【書評:毛沢東とトランプの共通点は?】中野信子『サイコパス』

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サイコパス (文春新書)
中野 信子
文藝春秋
2016-11-18




<構成>
はじめに 脳科学が明らかにする「あなたの隣のサイコパス」
第一章 サイコパスの心理的・身体的特徴
第二章 サイコパスの脳
第三章 サイコパスはいかにして発見されたか
第四章 サイコパスと進化
第五章 現代に生きるサイコパス
第六章 サイコパスかもしれないあなたへ
おわりに

<簡評>
気鋭の脳科学者の著書。硬いタイトルに反して極めて一般向けの内容で読みやすい。個人的にもこの手のテーマは好きである。
まずは本書の「はじめに」で紹介されている、サイコパスの特徴を以下に列挙しよう。

・外見や語りが過剰に魅力的で、ナルシスティックである。
 
・恐怖や不安、緊張を感じにくく、大舞台でも堂々として見える。 
・多くの人が倫理的な理由でためらいを感じたり、危険に思ってやらなかったりすることも平然とおこなうため、挑戦的で勇気があるように見える。
 
・お世辞がうまい人ころがしで、有力者を味方につけていたり、崇拝者のような取り巻きがいたりする。 
・常習的にウソをつき、話を盛る。自分をよく見せようと、主張をコロコロと変える。 
・ビッグマウスだが飽きっぽく、物事を継続したり、最後までやり遂げることは苦手。 
・傲慢で尊大であり、批判されても折れない、懲りない。 
・つきあう人間がしばしば変わり、つきあいがなくなった相手のことを悪く言う。 
・人当たりはよいが、他者に対する共感性そのものが低い。 
・(※これ以外に「異性関係・性的関係の放縦さ」も入る)

私は上記を一見した瞬間に「毛沢東」という名前が浮かんだが、実際に本書を読み進めると毛沢東のサイコパス属性が指摘されており、非常に納得してしまった。「私は天下の大乱を好む」と言い切り、自分の言動によって何千万人の死者が出ようと意に介さなかった毛沢東は、確かにサイコパスと呼んでよい人格的特徴の持ち主だ。

また、書中に指摘こそなかったが、中国のもう一人の「建国の父」である孫文も、生前にはワンマン気質と大ボラ吹きと重婚(しかもロリータ・コンプレックス)で有名であり、サイコパスに分類されてもおかしくない人物だったと考えていい。ある意味において、現代中国は2人の巨大なサイコパスによって作られた国だという見方もできる。

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もっとも、中国の政治家ばかりをやり玉に挙げるのは片手落ちだろう。サイコパスの特徴と合致する人物は(下記のリンク先の記述が真実であれば)、昨今話題の「例の候補者」についても当てはまる。


> トランプはどんな話題でも5分も集中できないのです。自己顕示欲を満足させる話題であればともかくですが、それにしたって…
 
> ビジネスの電話で、トランプは時に相手をおだて、時に威張り散らし、そして時に激怒した。だが、それらはすべて計算づくだった。
 
> 彼は、いついかなるときでも自分が言うことはすべて本当であるか、あるいは少なくとも本当であるべきだと信じてしまう能力をもっているのです

上記の『WIRED』記事は、2017年1月から米国大統領に就任するドナルド・トランプを「Sociopath (ソシオパス;社会病質者)だと指摘する。アメリカのリベラル陣営を代表する皮肉家のマイケル・ムーアも、たしか同様の表現でトランプを呼んでいた。

本書の記述にもとづけば、サイコパスとソシオパスはほぼ同様の人格的特徴をあらわす言葉のようだ。心理学・生物学といった立場から病因の遺伝的要因を重視する研究者は「サイコパス」、社会学・犯罪学などの立場から病因の後天的な環境による形成を重視する研究者は「ソシオパス」と呼ぶ傾向が強いとのことである。

トランプの政治的主張への嫌悪感にもとづく偏見やミスリーディングが相当に混じっている可能性もあるとはいえ、次代の米国大統領についてのこうした視点からの理解が可能であることは覚えておいて損はないだろう。



サイコパスはもともと、悪事への罪悪感や他者への共感性が極度に低いある種の犯罪者の人格を説明するために生まれた、診断上の概念であった。ただ、近年の研究の進展によって、政治家や経営者といった高い決断力や判断力を必要とされる職業の人々にも、サイコパス的な気質の持ち主が多いことが明らかになってきているという。事実、本書の出版前にも下記のような記事が出ている。


 
本書はカナダの犯罪心理学者、ロバート・ヘアの説を引用したうえで、サイコパスには「標準」「操縦」「男性的」の3タイプが存在すると述べる。この3者はいずれも罪悪感や良心の呵責・共感能力の欠如という「情動」の特徴こそ共通しているが、その他の面において違いが認められるという。

すなわち、「標準」型は「情動」のほかにも、「対人関係」(他者を利用し、不誠実)、衝動性(常に刺激を求め、無責任で計画性がない)、反社会性(犯罪や非行との親和性を持つ)といったすべての因子を併せ持つ標準タイプだ。一般にサイコパスとしてイメージされる連続殺人犯などは多くがこれに該当するだろう。

いっぽうで「操縦」型は特殊であり、「情動」「対人関係」の特徴はサイコパスそのものだが、「衝動性」や「反社会性」はそれほど強くない。政治家や経営者になるような、社会的に成功をおさめていくサイコパスは多くがこのタイプである。一見すると魅力的で多くの取り巻きを持つが、内心は野心と自己愛だけに満ちており、他人を騙して利用し尽くしても良心が痛まない――と、どこかで見たことがあるような性格の持ち主だ。

最後の「男性的」型は、「情動」「衝動性」「反社会性」を併せ持つが、本人に魅力が薄く他者を利用する能力が低いタイプとなる。当人の能力が低いのにやたらに居丈高で攻撃的で、弱者いじめを好むという。いかにも魅力に欠けた人格だが、田舎の半グレのヤンキーなどによく見られそうなタイプである。

この分類が正しいとすれば、おそらく毛沢東やトランプは「操縦」型のサイコパスに該当するのだろう。

◆◆

もっとも、本評を読んで少なからぬ方がすでに感じているのではと思うが、特定の人物を対象とした安易なサイコパス(もしくはソシオパス)認定は、政治やビジネスの世界における敵対者へのレッテル貼りや、一種のヘイトクライムとして機能し得る性質もはらむ。一見、客観的に見える医学や社会学の衣をまとっているだけに、この種の言説の持つ危険性は非常に大きい。

トランプはサイコパス。習近平はサイコパス――。これはまだいいかもしれない。

安倍晋三はサイコパス、小池百合子はサイコパス――。確かに各人当てはまる部分もあるかもしれないが、軽々しく言ってよいものか。

俺の商売敵はサイコパス。選挙の対立候補とその支持者どもはサイコパス。○○教徒や△△人にはサイコパスが多い――。ここまで来ると実に危ない。

本書はなかなか興味深く、またサイコパスという人格類型そのものも、私たちの知的好奇心を強く刺激する存在だ。ただ、あえて本書の問題点を指摘するなら、上記に言及した危険性についての著者の目配りが、全体的にそれほど充分ではないように思える点だろう。

本書は読みやすく、誰でも手に取れる一般書だ。ゆえに、その内容がはらむ「毒」が、非専門家たちにとっても恣意的に使いやすそうな形で提示されている点はちょっと心配になる。

危険水域の線引きは、実に難しいものなのだ。


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※上記はメルマガ「つれづれ亜州観望記」2016年11月22日配信号のコンテンツの一部を再編集したものとなります。 

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安倍政権にひれ伏す日本のメディア
マーティン・ファクラー
双葉社
2016-06-24



<構成>
はじめに
第一章 安倍政権のメディア・コントロール
第二章 メディアの自壊
第三章 ネット右翼と安倍政権
第四章 権力VS調査報道
第五章 失われる自由
第六章 不確かな未来
おわりに

<簡評>
日本との縁が20年以上におよぶ、前ニューヨークタイムズ東京支局長、マーティン・ファクラー氏の著書。『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』のデービッド・アトキンソン氏しかり、私はこの手の「知日派ガイジンが書いた現代日本評」を読むのが結構好きである。

本書もまた、海外メディアの目から見た日本のメディアの問題点を鋭くえぐる。おそらく時事的な影響もあって、タイトルは「安倍政権もの」だが、安倍政権の話は実質的には全体の四分の一くらいだ。

本書の論調のすべてに賛同するかはさておき、さすがはNYタイムズというべきか。着実な取材を下敷きにして確固たる記者の主張を出していく文章は、同業者の末端につらなる者としてはなかなか勉強になる本だった。

◆◆

読後の個人的な感想としては、「メディアを弾圧する安倍は悪い」「したたかな強権主義者である」という印象はあまり強く受けなかった。むしろ突出して感じられたのは、サラリーマン的で横並び思考が強いとされる日本の大手メディアのふがいなさというか、弱さだ。

安倍政権の振る舞いは、トルコのエルドアン政権のように確信犯的に民主主義を一部無視し、異論者に対して荒っぽく棍棒を振り回しているとまでは言えない。第一次政権時代にメディアのバッシングで「潰されて」、やがて2009年に自民党が野党に転落する端緒を作ることになった苦い思い出への反省もあるのだろう。彼らはおおむねルールぎりぎりの枠内で、あくまでも"それなり(当社比)"にしたたかなメディア対策を講じているに過ぎない。

ただ、日本の大手メディアが「お豆腐」すぎるため、政権側が棍棒どころか指でそっと押しただけでグシャッと潰れてしまっているというのが、より正確な実態であろうと思う。

◆◆

少なくとも既存の大手メディアについては、おそらく今後も、お豆腐がレンガに変わるような事態は起きない。なぜなら、この「お豆腐」化は誰に本質的な責任が帰せられるとも言えず、組織や社会全体が無意識を重ねて作り出したものだからだ。

「日本だからこういうもの」という性質の代物は、問題の存在が認識されても誰も解決の方法を知らない(もしくは、解決策を知る人がそれを実行できる立場に就くことがまずない)ため、外国人がトップにでもならない限り、短中期的な変化は不可能である。

私たち庶民に必要とされることは、日本のメディア改革を訴えることではなく(やっても無駄だからだ)、彼らがお豆腐であることを明確に認識したうえで信用できる情報を選び取るセンスを個々人で育てていく賢さを身に着けることではないかと思う。

◆◆

本書は全体的に良質だと思うが、人によっては序盤部分は微笑ましさを覚えるかもしれない。現在の日本国内では、やや「引かれた」扱いを受けがちな某識者やテレビ番組の失脚や苦境が、「安倍政権のメディア弾圧」の事例として挙げられているからだ。

これは外国人ジャーナリストが他国の政治問題に切り込もうとした場合に陥りがちな、普遍的な罠でもある。今回は「アメリカ人記者→日本」というパターンだったが、「日本人記者→中国」「日本人記者→台湾」といった構図でも同じことはよく発生している。

外国人の立場からは、一見すると「気骨の人」や「正論の担い手」に見える人物が、現地のバランス感覚のある常識的な人たちから相手にされていなかったり、場合によってはトンデモに近いような扱いをされていたりする事例は、枚挙にいとまもないほど数多い。

例えば、昨今の日本における香港の「本土派」の取り扱い方や、中国の一部の民主活動家の取り扱い方なども、上記のパターンに含まれるものがあると言っていいだろう。

海外の政治問題をフラットに報じることは実に難しい。本書を読んで再認識する次第である。



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※上記はメルマガ「つれづれ亜州観望記」2016年11月08日配信号の原稿を再編集したものとなります。

【書評】福島香織『赤い帝国 中国が滅びる日』

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赤い帝国・中国が滅びる日
福島香織
ベストセラーズ
2016-10-26


 
<構成>
序章:習近平政権がはらむチャイナリスク
第一章:習近平は暗殺されるのか
第二章:戦争は勃発するのか
第三章:経済は崩壊するのか
第四章:中国のメディアは死んだのか
第五章:中国五つのシナリオ

<簡評>
日本人が中国にしばしば戸惑う隠れた要因のひとつは、日中両国の政治や社会の「速度観の違い」だ。中国はとにかく変化が速い国で、十年一昔どころか半年一昔と言っていいくらい、政治・経済の情勢や社会の様子がくるくる変わる。ことに2012年秋の習近平体制の成立後はなおさらだ。

著者も述べるように、前任者の江沢民・胡錦涛時代にはなんとなく「読めた」中国の動きは、習近平政権下で非常に読みづらくなった。鄧小平の遺志にもとづいた集団指導体制が敷かれ、合議のもとでそれなりに合理的な意思決定がなされてきた従来と比べ、現在の習近平体制は習の個人独裁色が強い。

なので、習近平の頭の中をのぞかない限りは中国の未来は見えない――。

いや、習本人もよくわからないまま進行している事柄や、習に擦り寄ったり反発したりして独自の動きをとる人たちが大勢いることを考えると、誰一人として国の未来がわからない状態になっているのが2016年11月現在の中国だと言うべきだろう。

個人がそんな中国の現在を追いかけることは難しい。そこで必要になるのは、中国語が理解できて、イデオロギー面での偏りが少なく(もしくは本人の思想傾向を事実関係の取捨選択や紹介にあまり反映させず)フットワークが軽い、情報の良質なまとめ人を何人かフォローすることだ。

こうした意味で、著者は現在の日本の一般向け中国書籍の書き手のなかでは有数の信頼できる人である。本書は、題名と装丁はかなりおどろおどろしいものの、中身は安定感のある現状解説の書になっている。

任志強事件、雑誌『炎黄春秋』の事実上廃刊、東シナ海の中国軍機と自衛隊機の異常接近、天津の大爆発事件、株価の乱高下、AIIBと一帯一路構想、革命歌を歌う美少女アイドルユニット結成、人権派弁護士の大量拘束、香港の銅鑼湾書店事件、広東省烏カン村の騒動、多発する日本人のスパイ容疑拘束事件……と、本書が紹介・解説を加える話題は多岐にわたる。

いずれも日本国内で単発のニュースとして読み流す限り、日々消費されて消えていく「中国の話題」だ。ただ、良質な中国書は、こうした個々の事実に一定の連関性を見出して、最大公約数的な説明要素を抽出して読者の前に提示していく。

この定義において、本書は「良質」だ。読みやすい文体も読者にとって助かるだろう。

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本書の特色として、第一章の習近平に関する記述で、一般的に怪しげとされがちな「香港情報」を積極的に紹介する手法を取っている点が挙げられる。

著者のこの手法には賛否もありそうだが、文中でその信頼性に一定の留保をつけ、現地から可能な限り裏取りの談話を聞いたりしたうえでの紹介なので、つとめて良心的な情報の取り扱い方だろう。中国の最高指導者の素顔は公開情報からだけではほとんど見えてこない。一定の「怪しさ」を腹に飲み込んだうえで大胆な仮説を展開することはときに必要となるからだ。

一方、本書に問題点があるとすれば、ひとつは現代中国についての予備知識がまったくない人への目配りがやや弱い点(ただ、このブログやメールマガジンを購読するような人であれば、この点はほとんど問題ない)。もう一点は、やはりこのタイトルと装丁だろう。

本書に限った話ではなく、現代の日本の出版業界で中国を扱う一般書やムックが世に出る場合、出版社が営業的に安定した数字を出す必要から、真っ赤なドロドロした装丁やどぎついタイトルが付けられる場合が多い。商業出版は社会の要求が常に反映されるからだ。

私はこの傾向は困った話だと思うが、一方で社会において中国本が出版されなくなる&売れなくなると(少なくとも私個人としては)知的欲求の充足の面でも生活維持の面でも、もっと困った事態になる。かく言う私自身、「ドロドロ系」装丁の雑誌やムックなどに寄稿する機会は多いが、これは現代の日本において中国にたずさわるライターが、安定的に仕事を継続していくために負わざるを得ない宿業の一種として割り切るしかないと考えている。本書もまた、この種の「宿業」を負っている。

ただ、本書の内容は、このタイトルや装丁に「引く」ような健全な感覚の持ち主たちにこそ、本当は伝わってほしいものだ。中国は世間で煽られるほど不安定な国ではないが、一方で図体が大きいだけにリスクの総量も多大である。

本書は読み手の感情をむやみに煽らない、冷静なチャイナリスク解説本なのだ。


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※上記はメルマガ「つれづれ亜州観望記」のサンプル記事の原稿を再編集したものとなります。

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