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サガスカーレットグレイスについて語る

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中国にはまったく関係がないが、どうしても語りたいのでサガスカーレットグレイスの頭のおかしさについて語ろうと思う。

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↑vitaの画面を筆者撮影

 
・街もダンジョンもマップが用意されていない。戦闘アイテムも武器屋も宿屋も存在しない。なのにイベントが公称数千個もあるらしいのだが、しかしその大部分はガン無視してもクリアできる。だが、そもそもクリアが目的のゲームと言っていいのかすらよくわからない

 ・仲間候補が70人ぐらいいるっぽい。しかも進め方次第では、どう考えてもモブとしか思えない村のネエちゃんとか適当に拾ったハゲのヤクザとかが、事前に公式ホームページで小林智美さんの画像まで公開されていたキャラ立ちしたイケメンより余裕で強かったりするから困る。

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↑イケメン。うちのパーティーではどっかの村のネエちゃんより弱い。(公式HPよりスクショ引用
 
・バトルは敵の行動内容と行動順がすべて事前に公開されている。ただし、こちらはそれを把握したうえでカウンター技や妨害技を仕掛け、HPが900台に乗ってからすらもマヒや毒や防御力ダウンを駆使したり、敵の種族別の弱点を的確に突いて攻撃しないと死ぬ。というかそれをやってもたまに死ぬ。いわんやボタンポチポチ連打して攻撃するだけなら99%死ぬ。ともすれば毎戦どころか毎ターンごとに数分間の熟考を経てバトルに臨む
 
・バトル中の回復と蘇生の手段は、1~数ターンの消費が必要な術を除けばほとんど存在しないのに、敵のゾンビのアッパースイングで平気で体力の3分の1くらい削られる。スクエニ公式のQ&Aに「よくやられるゲームですが仕方ないです」みたいなことが書いてある。
 
・TIPSというゲーム内取扱説明書的なテキストが2万字ぐらいある(ただし、ロード時に各条ごとに出るので確認はそれほど苦痛ではない)。これにいちおうは目を通しておかないと死ぬ。でも目を通しても死ぬときは死ぬ

全滅時の音楽が無駄にハートウォーミング。あまりに聞く機会が多いので、陰惨な曲調でプレイヤーの気分を憂鬱にさせないための配慮なのかなんなのか。
 
・メッセージが書き逃げダイナミックに大雑把。ひとつの街あたり1人しか会話してくれる人がいないのに、そいつのセリフが「うそ臭い噂が聞きたいなー」だけだったりする。しかもそいつの顔が、自分のプレイでは味方のエースになっているヤクザとデザイン使いまわしである。

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↑どうでもいいセリフをのたまう街の人と、わが軍を支えるヤクザ。vitaの画面を筆者撮影。
 
・ほか「(情報はないけど)すごくなにかありそうな場所」という名称の場所だの、ある地点を進む際の選択肢が「ぶっ倒す」と「踏み倒す」しかないだの、いろいろぶっ飛んでいる。

・でも面白い。どう表現していいかはわからないけれど面白い。
 
・アマゾンで初期に☆5のレビュー付けてたやつらが、ゲームの形容しがたい面白さを語ろうとして勢いが数周回ってしまい、「開発陣に栄光あれ!」とか「河津さん(※制作者)ありがとう!」とか「これは芸術だ!」とか意味不明なコメントを発するに至っている。ツイッター見たら面白さに感極まって泣いてるやつもいる。
 
・だが、私自身も彼らと同意見である。
 
・他のアマゾンのレビューも、みんな口をそろえて「万人にはおすすめできないが」「実際にやってみないと伝わらないのだが」と書いており、なのに☆5を付ける。
 
・やはり私も同意見である。
 
7000円のサガをやるためだけに2万円出してPSvitaを買ったとか言ってるヤバいやつらも多数。
 
・だが、私も同様の行動をとっている。しかも2014年に制作が発表された時点でvitaを買ったら、それから2年間も発売されず長らく宝の持ち腐れであった。
 
・制作発表当時(2014年12月)にテンションが上がりすぎて、週プレの編集部に頼み込んで制作者の河津さんのところに押しかけて自分がインタビューした内容をいま読み返してみたら、そこで語っておられたまんまの要素がゲームに反映されていてぐっとくるものがある。

・余談ながら、中2の冬にVジャンプのロマサガ3特集の記事を読んで以来あこがれていた人にインタビューできる仕事ができて、ああ俺生きててよかったなあとかいろいろ考えたら、質問の第一声が思わず涙声になってしまい河津さんがコンフュを食らった顔になっていた(※当たり前だ)のだが、なんかそんなことも思い出してぐっとくるものがある。

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↑安田峰俊「『SaGa』発売25周年で創造神・河津秋敏が明かす制作秘話」(週刊プレイボーイ)
 

とにかく頭がおかしい素晴らしいゲームなので、みんなvitaごと買ってやってみやがれと思います。

 
サガ スカーレット グレイス - PS Vita
スクウェア・エニックス
2016-12-15








ちなみに私は1995年に発売されたロマンシングサガ3をいまでもたまにプレイしていて、仕事場にスーファミのROMが2個置いてあります。

WELQ問題と「フリーライターになる方法」

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昨日12月27日にメルマガの最新号を出したところ、メインコンテンツとは別の部分の「雑記」にやたらに反響があったので、ブログに載せてみることにする。

近ごろ話題のWELQ問題、オチのない話ながらこういう感想もあるということで……。

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プロ野球チームを保有する大手IT企業DeNAが、医療情報サイトwelqをはじめ複数の情報サイト上で、転載に近い内容を含む不確かな記事を多数配信していたことが問題視されている。

同社はウェブサービス上で、一文字1円以下という極めて安価な報酬て記事執筆者を雇い、ネット上の既存の情報を参考にまとめさせていた。Googleなどのアルゴリズムを研究し、正確性に欠けた大量の医療関連記事を検索エンジンの結果上位に表示させ、アクセスを集めていたとされる。

法的には"グレー"の範囲におさまる行為とはいえ、道義的には問題が多く、また原稿も他サイトの情報をつまみ食いするパクリに近い手法によって作成されていた。事実上のパクリ原稿の製作過程をマニュアル化してライターに通達し、組織的に反道義的な原稿を量産させていたとも指摘されている。




ちなみに、この手の記事の執筆者は「ライター」と呼ばれてはいるが、彼らの仕事内容は、足を使った取材や文献調査などが必要とされる出版社系のウェブメディアや雑誌に寄稿するライターのそれとは大きく異なる。その仕事は、人工知能の技術がもう少し進捗すれば代替が可能な種類の「作業」であり、実質的には単純労働者に近い。

往年、母さんが夜なべ仕事でおこなっていた1台5円のチョロQの組み立てのようなお茶の間の内職が、現代風にデジタル化されたものだとイメージしてもいいだろう。下記の記事を読めば実態を想像しやすい。


こうしたデジタル内職の従事者たちに対して、発注者側は単純労働者を「ライター」、機械的作業を「執筆」、文字データ製品を「原稿」といったギョーカイっぽい名称に置き換えることで、薄給で単純作業を受注する人々に擬似的なやりがいを与えようとする。受注者側もまた、将来の「ライター」としての飛躍を漠然と夢見て、劣悪な文字情報の作成と拡散に精を出すのである。

ちなみにこうして作られた記事の責任の所在については、DeNAをはじめ「『誰でも登録して記事を書ける』というような仕組みになっていて、書いた記事の法律上の責任などはライター個人が背負う、みたいな形に規約上なっている」(byヨッピー氏)という。

単純労働者を薄給でやりがい搾取し、トラブルが発生すればトカゲの尻尾切りという、わが国のあちこちでよく見られるいつもの構図だ。

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さて、本件は中国とほとんど関係がない。私がこのニュースにわざわざ関心を示したことを不思議に思われる方もいるはずだろう。

しかし、実はこの話は個人的には非常に複雑な気持ちになるのである。なぜなら私自身、かつて数年間にわたって、この手のデジタル内職の仕事を手掛けていたことがあるからだ。

ちょうど10年前の2006年9月、私は月収十万円足らずの塾講師のアルバイトで食いつないでいた。もともと学生時代から文章に関係した仕事をしたかったが、就活のときに上京して新聞社や出版社の入社試験を受けるだけのお金がなく、実家に近い京都の部品メーカーの国際営業部に就職、やはり合わなくて5か月で辞めてしまっていたからだ。

ライターになりたいが、その方法がよくわからない。ひとまずAmazonで樋口聡の『フリーライターズ・マニュアル』を買って読んでみると、「駆け出しのうちはどんな仕事でもやれ」と書いてあったが、私の地元の滋賀県には出版社など皆無であり、そもそも駆け出す以前の問題だ。一昔前なら、ここで諦めるか、一念発起して上京するかのいずれかを選ぶことになっただろう。



だが、デジタルっ子であった私はとりあえずネットで検索してみることにした。すると見つかったのである。「ライター募集」をうたうネット掲示板とか、当時流行していたmixiのライター募集コミュニティとか、そういうのだ。驚くべきことに、出版社との繋がりが一切ない経験ゼロで地方在住のライター志望者でもウェブ経由で仕事を発注してもらえて、未来につながるキャリアアップができるという。

いざ実際に応募してみたところ、肩こりを予防できる健康法について書けとか消費者金融のお得(?)な利用法について書けとか、いかにもうさんくさい内容の案件を打診されたが、私はライターになりたかったのでやってみることにした。

これらはどうやら、SEO対策を施したアフィリエイト収入目的のブログや、ネット上で有料販売される情報商材に掲載することを目的とした文章らしく、多くは1文字0.5円~1円くらいの仕事であった。

もっとも、怪しい健康法であれサラ金の利用法であれ、まったく知らない分野についてきっちり下調べをして確実な情報を書こうとすれば、慣れないうちは2000字くらいの記事でも2時間ほどかかる。時給に換算するとわずか500円だ。

(※はるか後になって知ることだが、ほんらい出版業界において記事の原稿料は、原稿用紙1枚か誌面1ページあたり、もしくはウェブ記事の場合は1本換算が普通である。まともな原稿について「1文字〇円」という不思議な計算方法がとられるケースは、翻訳などを除きまず見られない)。

当時はまだ、この手の記事を発注しているのは零細のウェブ企業(かどうかすらも疑わしい謎の何か)ばかりであり、現在問題となっているDeNAやサイバーエージェントのような大規模かつシステマティックな発注はなされていなかったと思う。

ただ、私のようにコネも技術もなければ相場感覚も知らない物書き志望のアホなワナビーを「ライター」だとおだてることで、格安で文字データ(“原稿”とさえ呼べない)を提供させる方法は、この時代にすでに確立しはじめていたようだ。

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こうした仕事に対して、受注側がとれる戦略は決まってくる。下調べや文体の吟味の手間をはぶいて制作スピードをアップさせることと、内容を薄めて文字数を増やして支払額を少しでも引き上げることだ。また、一気に大量の案件を受注することで、薄利を分量のボリュームで補うという、鴻海精密工業の中国工場が1台4ドルの加工賃でiPhoneを何百万台も組み立てるような手法も取らざるを得ない。

私の場合、(さすがに良心がとがめたので他サイトの丸ごとのコピペはやらなかったが)クオリティを無視すればほどなく1000文字を最速15分くらいで書くようになった。

しばらく経つと、仕事を上手く回せるようになり、単価のやや高い仕事だけを狙って取るようになったので、仕事の質と制作時間を値段相応に上げなおすことができた(ちなみに良心的な価格で発注してくれたある会社には人徳のある人がおり、いまだに苦労していたころの心の師匠として感謝している)。

やがて半年ほど後、1本1000文字あたり数千円の仕事を400本くらい一気に受注し、今度は自分がライター掲示板で発注する側になってネット上のライター志望者たちに1文字0.8~1円くらいで文章を書かせて、差額を(もちろん税金は引いた上だし、私もリライトの労働はおこなうのだが)まるっぽ儲けたこともある。

※もっとも、さすがにそこまで旨い話は1度しかなく、その後は基本的には書く側ばかりであった。



◆◆

その後、私は2007年春に上京してから3年間ほど、退職が事実上禁止されていて住居費交通費の手当もない月収18万円の非正規の職場での勤務(←つまり2度目の就職も失敗したわけである)を余儀なくされた。さいわい時間の余裕だけは比較的あったので、上記のような自称ライター生活を引き続きおこなうことにした。

東京には出版社がたくさんあるっぽかったが、彼らは私の日常とは隔絶した雲の上に存在する謎の組織である。言うまでもなく私はそこにアクセスする手段を持たなかったので、編集プロダクションという下請け会社を経由して1000文字あたり3000~5000円ぐらいの原稿を書くようになった。コンビニに売ってある500円くらいのムックの最後のページを見て、小さな文字で「編集・制作」とか書いてある会社に電凸すると外注の仕事をもらえるのである。

ほか、上記のネット原稿の仕事も、単価がやや高そうな案件だけを選んで並行して続けた。編プロ経由の仕事ではエロ記事も裏モノ系のアングラ潜入記事もネトウヨ煽り記事も書いたし、ネット記事ではパワーストーンの効能や占いの結果なんかも書いた記憶がある。「萌えあがる募集若妻」というAVのシリーズのレビュー20本くらいを一晩で書いたときは言いしれぬむなしさが心にこみあげたが、就職に2回失敗して履歴書を汚したライター志望のフリーター(しかも奨学金による数百万円の債務持ち)というのは我ながら明らかに社会的にダメな人だと思ったので、まあ仕方ねえやと納得していた。

(ちなみに2008年の夏にテレビで北京五輪を見ながら書いた三国志のコンビニ売り歴史ムックの原稿が、私の中国関係の最初の仕事である。あのときは結構うれしかったものだ)

ただ、以前よりはランクアップしたものの、下請け会社経由の仕事は未来がなさそうだったし、自分の名前が紙面に大きく載るような署名記事を書く機会もまず訪れない。モヤモヤしながら、ひとまずブログをやってみたところそれが大当たりし、途中から書籍化を狙って更新し続けていたら、2008年の末にフリー編集者の堀田純司さんから講談社で本を出さないかとオファーをもらった。

その後も担当編集部が2回連続で潰れたりとか紆余曲折があったがひとまず割愛し、2010年に『中国人の本音』(講談社)を出版する。やがて、私はいつの間にか大手の出版社からダイレクトに記名の原稿を頼まれるようになり、取材費をつけていただいて中国や台湾に出張に行けるようになり、好きなことをノンフィクションのテーマに選んで自由に書けるようになって、奨学金も繰り上げ返済して現在に至っている――。

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↑2015年5月、小学館『SAPIO』の取材で陝西省に行った際、寄り道して兵馬俑をはじめて見ました(写真は安田撮影)。


とまあ、私はそういう迂遠すぎるプロセスを踏んで一応はプロの物書きになった。それゆえに、昨今のwelqの話はどうしても複雑な思いが先に立つ。

『はてな』などを見ていると、welqに寄稿するようなウェブライターを「本物のライターとは呼べない」とバカにするような意見が目立つ。そして、これらの指摘は圧倒的大部分において事実である。ただ、私自身がそういう世界をスタートにして(おそらく)”本物のライター”と呼んでよさそうな職業に就いた人間である以上、心の中でかのワナビーの群れを弁護したくなる気持ちも沸く。だって、地方に住んでいたり、育児や介護など生活上の負担が存在したり、就職先選びに失敗したりして業界とのコネも知識もまったく持っていない弱き者は、こうでもしないとライターを名乗れないのだから仕方ないではないか。

一方、DeNAに対しても思うところはある。曲がりなりにも上場企業が、他所の情報をつまみ食いしてコピペする作業を組織的に推奨したという、オリジナルの情報源(著作権者)に対する権利保護意識の甚だしい欠如はまったく弁護できない。ワナビーの夢を利用したやりがい搾取的なビジネスも明らかに悪辣だ。ただ、かつては似たような仕事に携わっていた者としては、「上手くやったなあ」「大企業がやればあそこまで大々的にやれるものだったのか」という気も多少はしなくもない。

出版業界が先細りして「まともな」寄稿先が減る一方で、ワナビーの絶対量は決して減ることはない。しかもネットが普及したことで、検索エンジンにヒットすることを目的とした極度に安価な文字データの需要だけは高まった。加えて良心を捨ててコピペまがいの手法を駆使すれば、情報の入手にかかる時間と金銭のコストを限りなくゼロに近づけられるようにもなった。

昨今のキュレーションメディア問題というのは、こうした過渡期の時代の鬼子なのだろうと思っている。


 


……ちなみに以下は余談に余談を重ねる話ながら、4か月ほど前にある全国紙の文化部から「現代のノンフィクション作家の『書き続ける』理由」というテーマで取材を受けたことがある。

そこで私がノンフィクションの書き手になった経緯を尋ねられたので、上記の話を身を乗り出して述べたところ、上品な文化部の記者氏が傍目にも明らかにドン引きしてしまい、現在にいたるまで私のインタビュー記事が某クオリティペーパーに載る気配がさっぱり見られない。

だが、現実とは往々にしてそんなものだったりするのである。



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